Bird echo

サークル「そらのとり」

「夢を確かめる」感想その②

 感想①(「夢を確かめる」感想その① - Bird echo )をアップしたあと続きを書くつもりが、結局年末ぎりぎりになってしまった。

 

 ところで今日2023年12月31日で「夢を確かめる」は発売されてから13周年を迎えるとのことで、大変おめでたい。(初回の発売日がコミケなんですね)

twitter(現「X」)に投稿した夢かめ13周年お祝い絵

 発売時にはできなかったゲームの新装版を今プレイできることのありがたさ。原作者の士戸先生をはじめ、発売に関わった方々には一ファンとして感謝しかありません。

 今年は夢かめに出会えて高校生以来ひさびさにちゃんとイラストを描くということを再開したのですが、人生何があるか分からないなあと思いました。まさか同人誌まで作ることになるとは…。趣味っていいですね。

 

 ここまでこのゲームにはまることになったのは、本編ももちろん素晴らしかったのですが、それ以上におまけの追加シナリオである「プロトタイプ・サンシロー」が自分に刺さりまくったからなんですね。前回は本編部分だけだったので、今回は「プロトタイプ・サンシロー」のどこが好きなのかをつらつらと書いていきたいと思います。

 

※以下、「夢を確かめる」のおまけ要素含むすべてのネタバレを含みますので、未プレイの方はくれぐれもご注意ください。ゲームはDLsiteほかで買えますので買ってね。

www.dlsite.com

 

 

 

 

 

 「プロトタイプ・サンシロー」とは、「夢を確かめる」本編をクリアした後にプレイ可能となるおまけシナリオであり、2023年に「夢を確かめる」を再販するにあたって追加された新規要素。ぶっちゃけ新作である。何なら本編よりボリューム多い。(何度考えてもこれが500円でプレイできるのはおかしいと思う…)

 

 「夢を確かめる」のなかで作中現実世界の主人公である「僕」がプレイしていたというゲームシナリオのうちの一つ…ということになっている。本編と違い視点は主人公の「サンシロー」に固定されているが、「case1」から「case10」まで一話ごとに「サンシロー」がリセットされるような仕組みになっている。これは本編クリア後だからこそ出せるシナリオというか…仮想現実のなかで繰り返される思考実験をプレイするような感覚に近い。caseごとにしがない編集者である「サンシロー」の行動や思考が少しずつ変わって展開されていくことで、登場人物との関係や結末が大きく変わっていく。ちなみに「YTIシステム」という用語は出てこないし、選択肢もcase8を除いて一切登場しない。(しかもその選択肢はほぼ一択と同義である)ただこのシナリオの展開そのものが「YTIシステム」の体現であるので、わざわざ言及する必要がないということだと思う。

 

 ちなみにこの「プロトタイプ・サンシロー」はcase~でナンバリングされた話以外にも「終末のスノウ・レポート」というSF風味の短編や、「最後に抹茶アイスクリーム」というなんちゃってバカミス風の話なども入っている。「プロトタイプ・サンシロー」とどう関係があるのかというと、プレイすれば分かる通り、このシナリオは延々と続く入れ子構造を示唆する構成になっており、そこはきちんと本編と対応している。「終末のスノウ・レポート」が「プロトタイプ・サンシロー」の作中小説であると言われたかと思えば、「プロトタイプ・サンシロー」のあるcaseこそが作中作だと「最後に~」で語られ、次にはまたその「最後に~」こそが作中作だと書かれ…。この徹底的なメタ構造は、逆説的に「何が現実なのか?」をプレイヤーに問いかけてくる。虚実の違いをはっきりさせて、「正解」を提示してはくれない。というか、それを提示することに意味はあるのだろうか?玉ねぎの皮を剥いていったあとに何も残らないのと同じで、これが現実であると〈確かめる〉こと、本質的な何かを確定させようとする試みは結局は空疎な遊びでしかないのでは?でも玉ねぎがあったことも、剥いた皮も、剥いた行為自体もそこにある。なかったことにはならないのは「YTIシステム」が証明した通りです。

 私はまずこの構成自体がよくできてるなーと思って好きなんですね。士戸先生は本当にフィクションを愛しているんだなと勝手ながら感じました。「プロトタイプ・サンシロー」の構成が問うているものは、そのままそっくり現実でフィクションと戯れる我々の状況に返ってくる。フィクションがフィクションであるのは自明だが、その中身の〈確かさ〉を突き詰めるのは実はあまり意味がない。もし内容自体を問うのならば、それは受け手を巻き込んだ形でしか成立し得ない。そういうことなんじゃないかと。勿論これはとりのの個人的な妄言なのですが、「プロトタイプ・サンシロー」をプレイした私はそう思ったわけです。

 

 じゃあ「プロトタイプ・サンシロー」の話の内容自体は好きじゃないのかと言われたら、とんでもない、私はストーリーがめっちゃくちゃ好きなんです。

 

 まずタイトルの「サンシロー」や作中に出てくる「ストレイシープ」という言葉から明白な通り、これは夏目漱石の「三四郎」のオマージュです。かなり乱暴にまとめると、地方出身の若者が東京に出てきてあれこれ悩むという、明治時代以降よく見られる近代インテリ男性の内面の葛藤がテーマのお話なのですが、これを現代の東京に置き換えているのが「プロトタイプ・サンシロー」だと言えます。悩める平凡な編集者のサンシローくんの悩みは、担当している作家との関係、そして故郷の母親との関係。仕事がうまくいかない上に実家からは「結婚しろ」と圧力がかかってくるが、何も言えずただ日々をやり過ごすという、書いてるだけで憂鬱になるこの状況で「サンシロー」くんはどうするのか…!?というのがストーリーです。登場人物たちの軽快なやり取りが入るものの、基本的に割とシリアスにお話は展開していきます。

 

 ちなみに出てくるヒロイン三人は本編と同じ外見。…なんですが、性格と役回りが本編と違っています。(共通している部分もある)

 サンシローが担当している若手作家「たまえ先生」が本編の菜乃の外見をしたヒロイン(ちなみに彼女に連載していた小説が単行本にならないことを説明するために、サンシローが憂鬱な気持ちで電車に乗っている場面がすべてのcaseの最初にある)case1~8の彼女はわりと本編の菜乃さんと同じ性格で、一番ヒロインっぽくかわいい。それゆえにサンシローに「選ばれなかった」ルートでは悲惨な結末になる。作家ということもあり、創作論や商業出版が抱える問題点など、業界のお話が展開されるのは彼女との会話においてである。case9や「最後に~」、そしてcase10では性格、言動が大きく変わる。ある意味もう一人の主人公といえる立ち位置にいる。

 そして出版社で契約社員をしている「かなえさん」が本編の今子の外見。case1~8の彼女は本編と大きく違っており、case8のラストは本当に怖かった…。「かなえさん」は他の二人に比べて出番が少ないのだが、サンシローに明確に好意を向けている描写が入る。ちなみに彼女が登場するときにあるBGMがかかるのだけど、case8をクリアするとその意味が分かる。こわい。…要するに彼女はシステム側の意志が介入しているヒロインなので、全てを把握しているらしい描写がある。ただ、case9のみ例外で、本編の今子ちゃんと同じ話し方、性格になっている。もっと言うと、そのままこれ本編軸の今子ちゃんなのでは?ということを示唆するセリフがあったりする。今子ちゃん、強い。

 三人目、本編の菱妃の外見をしているのが、出版社にお弁当を配達してくるアルバイトの「のぞみちゃん」。元気溌剌で、主人公に好意を向ける高校生…なのだが、本編と違いショートスリーパーで、ネグレクト気味の状況にある。夢に向かって邁進するヒロインという立ち位置は同じだが、本編以上に現実的な困難にさらされている。case1~8は分かりやすいくらい主人公好きな年下ヒロインなのだが、case9ではその好意はみられず、「主人公にとって都合のよいヒロイン」ではなくなっているところが大きな違い。case9は大人たちが彼女にどうやって手を差し伸べるかが物語のテーマになっており、恋愛はストーリーの枠外になっている。case10の彼女はサンシローと出会ってすらいない

 

 前述したように、この「プロトタイプ・サンシロー」において選択肢は存在しないが、「サンシロー」が人とのかかわり方をcaseごとに変えていくことで話が大きく変わるため、選択の結果を見ているのと同じになる。本編と違うのはアイデンティティそのものが大きく変化していく点。case1~5では、うまくコミュニケーションが取れなかったダメ編集者「サンシロー」が、話を追うごとに「表面的なコミュニーケーションスキル」を学んでいくのだが、それは最終的に「目の前の人間」を見下し(特にcase4のサンシローは「有害な男性性」の体現そのもの、もっと言うと後に「のぞみちゃん」にセクハラをする屑編集者「首藤」と同様の人間になっている)、本を作る作業を「原稿を縛って印刷屋に投げ渡すだけ」とみなしていくものになってしまう。最終的にcase5では「たまえ先生」が「サンシロー」の態度と言葉にショックを受け自殺してしまうという結末になる。(この話ではかなり機械的な性格になっている)人との関係性を模索→モラハラ言動を体得→それでもだめなら関係性の構築そのものを放棄する(すなわち人間性のそのものの放棄)という最悪な流れ。

 でもこのサンシローの悩みは個人的に共感しました。人間とのやり取りはものすごーくめんどくさい上、社交は明言化されない多くのルールが前提とされており、しかもそのルールが時にものすごく暴力的なことがある。他人との関係は「無理ゲー」である。

 ただここで止まってしまうと何にもならないのでお話は先に進行するのですが、その先の6~8がさらに最悪なんですね~。これは本編でも若干あった美少女ゲーム批判をさらに明確化した話のようにも思えました。要するに「今度は誰かを大切にしよう!」とするサンシローくんがヒロインと順番に恋仲になっていくわけなんですが、選ばれなかったヒロインは自殺してしまうという…(しかも原因の一端はサンシローくんにある)6ではたまえ先生、7ではのぞみちゃんと付き合うのですが、死んでしまったヒロインに対しサンシローはものすごく冷淡というか無関心で、何なら仕事のネタになるとすら思う。端的に言って人でなしなんですが、それがさらっと書かれるのが何とも皮肉です。では8はどうなるのかというとなんと二股します。このcaseのサンシローは最も優柔不断で、自分で決断することから逃げている人物。その結果なんとバレンタインに二股がバレ、たまえ先生とのぞみちゃん、二人とも死んでしまうという…。この二股がバレる場面はサンシローがダブルブッキングしたデートを完遂しようとする、直前までは思いっきりギャグ満載な場面なんですが、それだけに展開が最悪すぎて笑ってしまいました。だめだこいつ。

 二人が死んでしまい、うちひしがれたサンシローを出版社で迎えたのは「かなえさん」であり、この人も恋人であることがここでわかる。つまり三股。だめだこいつ…。「何度やり直してもこの結末になる、これ以外の選択肢はない」として、サンシローはたまえさんにプロポーズする。ここではじめて三人のうち誰を選ぶかという選択肢が出るが、実質「かなえ」一択しかない。(だって二人とも死んでるし…)ここのかなえさん、最高にこわい。すべてを分かった上でサンシローを受け入れ、正ヒロインであることを宣言するという…。そもそもかなえさんの外見が「僕」の婚約者、つまりこのゲームの制作者とそっくりであることを考えると…。「いきなりホラーじゃん…」と初プレイ時画面前で呆然としました。

 正しいヒロインと正しい結婚をする、これこそが正しい結末。ゲーム内だけでなく、現実の社会のなかでももしかしたらそうかもしれないと思わされる結末。サンシローは何度も母親から電話で「結婚をしろ」圧力をかけられていた場面と合わせて考えると、確かにここでのサンシローは「正しい」のです。こわいけど。「正しい結婚」に象徴される抑圧的な母(とその背景にある「父」の権力=家父長制)の関係から、8までのサンシローは自立することができなかったわけですね。かなえさん、まじでグレートマザーすぎてこわい…(n回目

 

 ここまででも十分好きなお話なのですが、ここでエンドマークを打たなかったからこそ私は「プロトタイプ・サンシロー」にはまりました。この後のcase9がめっっちゃ好きなんですよ~!!みんなプレイして…。

 case9は誰とも恋仲にならず、またヒロインの性格が大きく変化している。おそらくこの話だけゲームマスター?システム?の介入が弱く、現実のプレイヤーである「僕」の意識が介入しているようです。この話ではのぞみちゃんのセクハラ被害にどう決着をつけるか、という話と、物語を作ることに対する姿勢というテーマにサンシローが一つの答えを出す、という話が基本的な軸になっている。

 まずそれまでの話があった上で「誰とも恋仲にならない」というのがものすごーく好きなポイントです。恋愛関係にならなくてもこの話におけるサンシローはたまえ先生をはじめとしたヒロインたちと向き合い、きちんと関係を築いているように見えます。ここが本当に好き。

 このお話の中心になるのはやはり高校生の「のぞみちゃん」。のぞみちゃんは両親からネグレクトされていること、バイトを掛け持ちしており、サンシローの出版社にも仕事で来ること、などは8までと共通だが、今までサンシローに好意しかみせなかった「明るく良い子」から一変しており、口が悪く、周囲に対して攻撃的で、悲観的な性格(より現実寄り)になっている。(それまでサンシローに好意を抱くきっかけだった、アルバイト中に男性客からからまれるという事件の際も、結果的に助けたサンシローに礼を言わず、「ほっといて、ウザい」と返すなど)

 ただサンシローは高校生の彼女が絡まれても何も言い返さないこと、バイトを掛け持ちしすぎていることなどを気にかける。のちに彼女の境遇が悲惨であることにショックを受け、「何もできないかもしれないが、話くらいはきくから」と、アドレスを交換する。ある日唐突にのぞみちゃんから連絡が来て話を聞くと、セクハラ被害の告白を受ける。のぞみちゃんを傷つけた編集者は、以前からアルバイト中彼女にしつこく絡んできていたが、ある日うっかり「漫画家を目指している」と口にした彼女の漫画を「見せてみろ」と言い、実物を持ってこさせた上でこき下ろし、彼女自身の存在を否定した挙句、「俺が指導してやる」と体を触ってきたのだという。(このクソ編集者が「首藤」という名前で本編の「首藤」と同じ外見なんですね…)非常にショックを受け、バイトもクビになったのぞみちゃんは投げやりになり、人生に絶望していた。サンシローはのぞみちゃんの被害に怒り、彼女を気遣うが、相手は大手出版社所属の上、サンシロー自身は部外者であるため何もできない。その後のぞみちゃんからメッセージがくることはなく、心配するサンシローはかなえさんに相談をする。「今は緊急事態」だと判断したかなえさんは「サンシロー自身はどうしたいのか」と問いかけ、その大手出版社に以前勤めていたため、その編集が優秀だが悪評高かったことを知っていると語り、のぞみちゃんの被害を(無理筋ではあるが、個人では相手にされないため)会社を通じて訴える方法を提案する。たまえ先生が以前その出版社と仕事をしていたため、仲介を頼んではどうかと言われたサンシローはたまえ先生に相談するが、「セクハラはもちろん許せないし、その高校生が心配だ」としたうえで、「サンシローがそこまでする責任がわからない」「あまり売れていない作家という立場上、残念だがリスクが大きすぎる」と協力を断られてしまう。サンシローは返す言葉がなく落ち込み、自分は何もできないことを悲観するが、かなえさんに発破をかけられ、のぞみちゃんに「以前あった場所にいるから、気が向いたら来てほしい」と衝動的に連絡を取る。何日もそこで仕事をしながら待つサンシローのもとにのぞみちゃんが訪れ、以前セクハラ加害者に見せた漫画をサンシローに渡す。その漫画を見て感動したサンシローは、「自分の対応が悪かった、自分なんか無意味だ」とやけになっているのぞみちゃんの原稿をあずかり、腹をくくる。ふたたびたまえ先生を訪ね、以前の無理なお願いを謝罪したうえで、「サンシローがなぜそこまでするのか」という問いに対して、「彼女という存在に関わった自分には責任がある」と答え、たまえ先生の協力を得る。結果、首藤に抗議する場を得ることができるが、どこまでもセクハラをはぐらかし、こちらを嘲笑することしかしない首藤。サンシローは「あなたには恥がない」と糾弾する。その後、実は首藤に対してその他大勢のセクハラパワハラ被害の報告書が匿名で送られていたことが明かされ、(送り主は「かなえさん」)加害者は部署異動になる。のぞみちゃんはアルバイトに復帰し、サンシローに不愛想に一度「ありがとう」と言う。その後サンシローのところに連絡は二度とこなかった。ある大雪の日、出社したサンシローが以前のぞみちゃんと会っていた場所に雪だるまを発見し、かなえ先生と雪合戦に興じる場面で幕を閉じる。

 

 長々と書いてしまった…。要約が苦手なので読みにくいかと思いますが、好きポイントが詰まっている話なので許してほしい。

 「のぞみちゃん」という、たまたま関わっただけの弱者がある困難を抱えていた場合、自分はどうするべきかという大人の問題だけでなく、漫画などのクリエイター業の女性がセクハラ被害に合いやすい問題や、社会的弱者の立場からの暴力の被害を訴えることの難しさ、首藤とのやり取りから浮かび上がる暴力の社会構造的問題などなど…ふだん目にするこの社会のすごく嫌なこと、目をそらしたいことが誠実にエンタメの中で書かれている。これはそれまでのcaseのなかでヒロインが死ぬ展開があったことをふまえると個人的にものすごくうれしいポイントでした。しかもちゃんと面白い。文体が変にウェットにならずに簡潔かつドライなので、そこも含めてよかった。この話でサンシローくんは初めて母親に自分の意志を伝えるんですが、それまで自分が我慢すればいいと母親の言葉を受け流していたサンシローと、周囲の暴力に対して耐えることしかできなかったのぞみちゃんは、「自分の意志を伝える言葉が奪われている」という点において相似形なんですね。サンシローは母に向き合い、のぞみちゃんは首藤に自分の意志をもって反駁する。首藤を糾弾する場面のラストでのぞみちゃんがきちんと自分の言葉を言っていたのが本当に良かった。その後、のぞみちゃんから連絡が来ないというのもね…。君が傍にいなくても存在していることは知っているし、どこかで幸せになってくれていたらそれでいい、みたいな、深い関わりを継続的に持たなくても、誰かの幸福を祈る話が本当に好きで…だからcase10のサンシローが、名前も知らない元気な女の子の背中を見送るラストシーンでぼろぼろ泣きました。(case10はすべての関係がリセットされたような世界観になってる)なんてちょろいプレイヤーだと自分でも思うが、やっぱり良い話だ…。

 

 こういう「良い話」を展開した上で前述したメタ構造の展開があるのもドライで好きなポイントなんですね。これ、フィクションですよ、と読者を突き放す感じ。もう好きしか言ってないな。

 この「プロトタイプ・サンシロー」があった上で最後の最後に開放されるのが「間の夢を確かめる」というね…。ある意味このゲームの一つの「解釈」、「外側」を提示してくれるシナリオなんですが、でもそれさえも唯一の正解にはなり得ないという…。最後の最後まで楽しませてくれるゲームでした。

 

 本当は「長靴をはいたデコ」との関係についてもうだうだ書いてみたかったのですが、長くなってきたので今回はこのへんで。

 2024年は夢かめの同人誌いっぱい出せたらいいな。