Bird echo

サークル「そらのとり」

「夢を確かめる」感想その①

追記:2023/12/09 芥川龍之介の作品名の誤りを修正→リンクを挿入しました。

 

 せっかくブログを始めたので、とりあえず同人活動のきっかけになったゲームについてひとまず感想をまとめていきたいと思う。

 

 はじめまして、同人ゲーム「夢を確かめる」にドはまりして人生初の同人誌を絶賛制作中の「とりの」と言います。

 

 「夢を確かめる」とは、同人サークルヤプシ街道が制作したノベルゲーム。2010年にコミケで頒布されたものが数々の騒動を経て2023年に新規要素を追加したリニューアル版として発売されました。ゲームの紹介などは公式のnoteをご覧ください。

note.com

 とりのは騒動をきっかけにこのゲームを知りました。実はゲームというものがとにかく苦手なのですが、文章を読むのは好き&イラストが好き、という嗜好からいわゆるビジュアルノベルゲームというものが大好きでして、有名どころだと型月とかニトロとかのゲームをプレイしていました。2000年代以降の18禁美少女ゲームは内容が独特なものが多いイメージで、シナリオ重視のゲームがすっごく新鮮だったんですね。とはいえ、リアルタイムでやっていたわけではなく(というか普通にプレイできない年齢だったので)、知った頃には上記の大手以外はほぼ入手不可だったりしました…。最近はDL版で復刻されるものが多くうれしい限りです。

 こんな感じのにわかゆるゆるノベルゲーム愛好者だったとりのなので、マイナーな同人ゲームに関しては全くの無知でした。今だから正直に言いますが、「夢を確かめる」に関しては、当初は内容にそこまで期待せずにいたんですね。パッケージの絵がすごくかわいかったのと、単なる恋愛を主題にしたゲームではなさそう…?というというのでプレイしたという感じで…。今の自分を過去の自分が知ったら宇宙猫顔になりそうだなあと思います。こわ。一言でいうと神ゲーでした。プレイしてない人は今すぐプレイしてください。目の前にあるそのPCとかいう箱があればできるから。

 

 以下、「夢を確かめる」のネタバレを含みますので、ゲーム未プレイの方はくれぐれもご注意ください。

 なお、ゲームはDLsiteほかで発売中。素晴らしいクオリティーに対して500円という安すぎる驚異の価格なので買ってください。

www.dlsite.com

 

 

 

 

 まずはこのゲーム、簡単に言うとメタフィクションである。

 

 ゲームは三視点で展開する。いずれも男性主人公で、それぞれヒロインがおり、一見恋愛攻略ノベルゲームのようである。この主人公たちは公式の説明では「三人の兄弟」として説明されている。名前は設定されているのだが、作中ではほぼ苗字の「田宮」としか呼ばれない。(これも伏線になっている)①高校生(三男)②大学生(次男)③社会人(長男)の一人称で書かれ、視点ごとに文体が全く違うというスタイルである。かつ、チャプターが日付ごとに区切られ、一日を終えて次の日のチャプターに行くためには①~③すべての視点の物語を一度読まなければならない。一人称かつ同時進行で視点が移動する(ように見える)というこの構造、特に叙述トリックを知っている人ならばピンときたのではないかと思う。

 また、このゲームには「YTIシステム」という独自のシステムが存在する。詳しくはゲーム本編で説明されているのだが、簡単に言うと「バッドエンドの選択肢を選んだ際、結末を確かめた後すぐに直前の分岐点に戻ることができる」というシステム。普通のノベルゲームは選択肢を一度選び、最後まで読んだ後はデータをロードしてやり直すしかない。この一度選んだら(一応は)取返しがつかない、という選択肢システムは、多くのノベルゲームでプレイヤーの感情移入を促し、物語を盛り上げるものとして採用されている。「夢かめ」はあえてそれを「寄り道しても苦労せず、何度でもやり直すことができる」ものとして物語に組み込んでいるわけですね!物語中でも実際に登場するこのシステムは、「間違った選択肢は選んでもどうせなかったことになる」というその特性から、主人公の「もしも」の欲望を加速させるものとして機能し、それは私たちプレイヤーの「選択肢を確かめたい」という欲望とリンクするものになっている。もう言ってしまうが、もちろん確かめた選択肢は「なかったことにはならない」のだ。「これを選んだらだめなのはわかるけど見てみたい」「でもバッドエンドは嫌だ(=その結果を引き受けたくない)」という身勝手な欲望を逆説的にプレイヤーの眼前にまざまざと突き付けてくるのが「YTIシステム」なのである。

 

 物語は「2月14日」のバレンタインからはじまり、ヒロインと主人公が仲を深める(?)ように進んでいく。その展開の仕方もパロディというか、いわゆる異性間のロマンスの典型をそれぞれ取り入れているように思う。困難な事象→ヒロインとともに乗り越える→ハッピーエンド、という展開はお約束といえばお約束であり、恋愛の成就は物語のゴールである。一応言っておくととりのはそういう話も好きです。ただ「夢を確かめる」はこのあまりにも自明とされる恋愛の定型物語をなぞりつつそれを批判的に扱い、テーマにうまく接続させている物語であると思う。

 例えば①の高校生編でのヒロインである菱妃という少女は、「一日の大半を眠って過ごさなければならない体質」(ナルコレプシー?)であるにも関わらず夢である漫画家に向かって邁進する、というキャラクターである。菱妃はこの体質故に他人との関わり方が独特であり、孤独である。この「不幸な体質を抱えた孤独な美少女」に寄り添うのが①の主人公である三男。この三男、かなりお調子者かつ性欲に振り回される高校生として描写されており、高校生編は一番読む人を選ぶ文体であると思う。(実在のフィクションをもじったパロディ構文が山のように出てくる)一応菱妃と彼は付き合うことになるのだが、徐々に菱妃に対する独占欲がむき出しになっていく。この高校生編の不穏な描写はオチに向けての準備としてかなり分かりやすい。というのも、不自然なまでにこの高校生編では菱妃と彼以外の登場人物が描写されない&実在のフィクション作品名が出てこない(すべてデタラメになっている)からで、この視点が「虚構」であることを象徴している。菱妃がほかのクラスメイトと仲良く話す姿を暗い感情で見つめる三男の描写で、「あれこれもしかして仮想現実の世界の話か…?」ととりのはなんとなーく思いました。三男、もしかしてNPCだったりする?みたいな。これは当たらずも遠からずだったのでちょっと嬉しかったのですが。

 次男編、長男編のヒロインとの関係性も、最後まで見ると明確にアンチ恋愛ゲームになっている。次男編のヒロイン、今子は性的に次男を誘惑(付き合っているうえでの誘惑なので露骨なものではない)するシーンがあるのだが、次男はそうした関係になることを明確に避けようとしている。これ、もしかして次男はアセクシャルなのかな??とも思ったのですが、作中の文脈が「女性を過度に神聖(?)視し個人として向き合うことを避ける精神」をやや批判的に描くというものっぽいので、(そう解釈することも可能だが)ちょっと違うかなという感じですね。ここらへんはもう少し詳しく考えてみたいです。今子、割と古風な、コケティッシュな女性として描かれているようでありながら、ラストの講演シーン(芥川龍之介の「蜃気楼」をジェンダー批評の視点を取り入れつつ読み解く)をぶつけられるので、めちゃくちゃ好みのキャラクターでした。

www.aozora.gr.jp

 次男編の文体は「村上春樹」を意識した文体(これは作者が明言している)なので、次男の「女性との性的な関係を避ける」というキャラクター設定はずいぶん皮肉でもある。だって村上春樹の小説なら冒頭のバーに誘うシーンのあとでそういう関係になってるでしょうし。ここは普通に笑いました。

 長男編は三男、次男編に比べると恋愛は物語の中心からはやや後退ぎみのテーマとして扱われている。この長男編、主人公が務めている会社がパワハラモラハラの温床で、主人公がとにかく病んでいる。主人公自身、他人に対して差別的であり、ヒロインの菜乃に対しての言動ははっきり言ってひどいものがある。(今風に言うとインセルみたいな感じ)ただぎりぎりのところで良心を保っている描写は、同僚が酒場で外国人労働者にとった暴力的な態度に怒るシーンになどにみられ、要するにこの主人公は特別善良ではないがそこまで極悪でもない「普通」の人間なのである。この主人公が中途採用でやってきたヒロインと関わるうちに影響され、会社の悪事に多少なりとも立ち向かおうとする、というのが大まかなストーリー。こう書くとほんとに短編ドラマとかでありそうな展開ですね。感動的なシーンもあるので、これはこれで好き…なのだが、ここで終わらないのが「夢かめ」のこわいところ。長男編のラスト、菜乃と良い感じになったと思っている長男だが、明確にヒロインから拒絶されてしまう。「あなたとそういう関係になるつもりはない」とそれはもうはっきりと。ここで長男は激怒してしまいます。

 ここで一回目のオチがつくわけですね。①~③すべてにおいて、ヒロインが自分の意志に反した行動を最終的にとった場合、主人公たちはヒロインを殺害してしまい、そこで一旦ゲームが終了します。こわ。ちなみにすべて「首」に手を伸ばしているのでまあ首を絞めたのでしょうが、これは芥川龍之介の「歯車」のラストの引用があるので意識的な反復描写ですよね。長男が菜乃を殺している場面で回想が流れ、それまで別視点のように描かれていた三人の兄弟が実は同一人物であったことが明かされます。つまり「田宮」という主人公は一人だけであり、時系列を操作して並行していたように見せかけていただけだ、というわけです。えっでもヒロイン殺してるならおかしくない??警察は??

 ここで二回目のオチがきます。主人公のように描写されていた「田宮」という人物は実在せず、ヒロインこそが実在の人物であったと。作中で唯一男性ながら立ち絵があり、「YTIシステム」の制作者であった「首藤」こそが仮想現実の作り手であり、ヒロイン三人はテストプレイヤーという設定になっています。本来ならばヒロインの理想の話ーー「夢」が展開されるはずであったのにも関わらず、物語は破綻し、NPCである「田宮」はヒロインを殺してしまう。開発者である首藤はどうやら人間の「夢」の解析に興味があるようなのですが、やや厭世的な人物のようで、最後、自身もその仮想現実に接続し、芥川の「歯車」の引用(「誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?」芥川龍之介 歯車)がされて終わり。デタラメのスタッフロールがここで流れるので最初は「えっ???」となりました。自身の「夢」=「欲望」を掘り下げた先にあるものは矛盾に満ちた破滅であり、理性によってそれを解明しようとした首藤が最終的には「夢」に飲み込まれる話、として終わってしまうのですが、もちろんゲームはまだ続きます。このゲーム、マトリョーシカのような延々と続く入れ子構造になっているんですね。

 というわけで三回目のオチ。今までプレイヤーが見ていた、①~③の物語+首藤の物語は、「僕」という男性が、天才科学者の妻が事故で意識不明のままになっている現実逃避に、妻が開発した「夢を確かめる」というゲームをプレイしていた内容を見ていたものである、ということが明かされる。シナリオは複数存在し、私たちがプレイしていた物語はその山のようにあるシナリオの中の一つでしかない。まるで本当の現実のようですね。ヒロインはデフォルト設定であるが、「僕」がプレイすることにより「僕」の願望・欲望が主人公やヒロイン、世界観設定に影響を及ぼし、ゲームマスターであるAIがそれを学習して新たなゲームを構築する。このゲームマスターの「Mr.CB」(ガワは美少女なのに「Mr」を使っているところ好き)は、いわば世界の秩序、構造そのものの体現である。プレイヤーの「もしも」の選択は「なかったこと」になるわけではなく、ゲーム世界に備蓄されて新たなゲームの基礎になる、という、選択式ノベルゲームの形式をうまく活かしたメタフィクションの物語が「夢を確かめる」であり、最後は「僕」の行動によって①~③の物語はそれぞれ独立したお話として成立することになるのだが、ラストの一応のハッピーエンドはエンドマークを打つために必要であっただけで、テーマはこのゲームの構成自体にあるように思う。大ざっぱに言うならば、「我々がフィクションを必要とするのはなぜなのか」に対する一つの回答を示したのが「夢を確かめる」というゲームなのではないだろうか…というのがとりのの雑感です。

 まだまだ書き足りないのですが、いったんここで区切ります。夢かめはいいぞ!